
今夜、飯森範親&山形交響楽団が演奏するモーツァルトを聴いてきました。オーケストラでのクラシック演奏を聴くのは、何年ぶりだろう。
今回は、たまたま会社でもらったチケットなのだが、なんと、このコンサートチケットは即完売、超人気演奏会だったらしい。指揮者である飯森さんさえ、知りあいの分にと思ったチケットが手に入らなかったそうな。
なぜなら、、、このコンサートは、壮大なプロジェクトのはじまり。「モーツァルトシンフォニーサイクル・アマデウスの旅」第一年。
モーツァルトが、35年というその短い生涯の中で書き残した作品は600曲以上。その中の交響曲全曲(予定では47曲)を山響が8年かけて演奏に挑む、その幕開けの日だったのです。
パンフレット 飯森さんのコメントより
「・・・現代のオーケストラが持つ機能性を生かしつつ、古典奏法を用い、当時の演奏スタイルや響きを山響は追求していきます。可能なセクションは古いタイプの楽器、例えばナチュラルホルン、ナチュラルトランペット、木管のフルート、バロックティンパニー、またガット弦などを使用し、音色に生かす試みも実施します。またオーケストラの更なる飛躍の為、演奏をCDに残すことも計画されています。・・・」
と、いうことで、クラシックファンにはとてもとてもうれしい、素敵な「アマデウスの旅」が、今夜から始まったというわけです。
そんなことは、露もしらず、のん気に会場を訪れた私たち。
でもね、やっぱりね、クラシックのこととか何も知らなくても、素敵なものには、ほんとに感動するんだなぁ〜と、思いました。やられました。感涙しました。
今回の特別ゲスト奏者・高木和弘さんが、ソロでヴァイオリンを奏でたとき、あまりの美しい音色に涙が出そうでしたよ。
あわわわ〜、びっくり。
その時思ったのがね、「人間の力って、すごいな」と。
人間がつくった楽器を使って、人間がその弓を弾くだけで、なんでこんなに情感のこもった、しっとりとした音が生まれるんだろう・・・。
この春に、私は友人と東京・六本木を訪れ、ミッドタウンだっけ?・・・東京の新名所となったビル郡を見上げました。その時のことです。
友人がこんなようなことを言いました。「人間って、こんな大きな建物を作って、どうするんだろう。あと10年後、50年後、100年後、時がたって、古臭くなったこのビルに価値はなくなり、ただの大きな建造物となる。壊すの?残すの?どうするの?何か、おそろしいよ」
そんな風なことを言われて、なるほど、人間って、こんな大きなものを街中にぎっしりと作って、その後、どうするつもりなんだろうね、と思った。綺麗な高層ビル、高級ショップ、1枚14万もする高級スカーフ・・・。いろんなものがあって、どれもが人間が作ったものだけど、なんの感動もなかった。
ビルだって、高級スカーフだって、そして今夜の演奏だって、みんな人間がこの世に生み出したもの。だから、それら全てを「手作り」というのかも知れないが、いやいや、全てを「手作り」と呼んでいいのだろうか?「手作り」の定義って、なんなんだ?
う〜ん、モーツァルトを聴きながら、「手作り」(人間が生み出し物)について考える。
この世界には、人間がつくってしまったものが沢山ある。しかし、人間が本来身体的に備えている力以上のエネルギー・技術を使用して作ったものは、手作りとはいえないよね。。。いわゆる「機械」を使って作ったり測ったりするものは、手作りとはいえない。
それに対して、人間の力の範囲で、人間の感覚を最大限まで引き出して、個性豊かに生み出したものは、まさに「手作り」といえるのではなかろうか。
ビルや、高速道路や、様々な作品は機械が作ったもの。人間の力では、作れなかったもの。まさに、手におえなかった作業。
対して、今夜のコンサートしかり、例えば料理や絵画、芸術作品は、人間の力と技と感性をフルにつかって作った作品。手におえる作業による、作品。
きっと、ほんとに人間が感動するのは、人間の「手におえる」範囲内での最高レベルの技術・作品に出会った時なのではないだろうか。同じ人間なのに、どうしてあんなすばらしい演奏ができるのか、どうしてあんなに美しい声が出せるのか、どうしてこんなにおいしいものが作れるのか・・・・、そう、ある人が最大限の力・感性を用いて生み出した作品に出会うことで、そこに人間の持つ力の大きさを感じ、尊敬と感動の念を抱くのだと思う。
そんなことを思いながらも、とにかく、高木さんの表情に引き込まれ、飯森さんの全身での指揮にびっくりし、演奏会を楽しんだのであります。
あ、それから、モーツァルトという天才についても考えました。
私の少ない知識の中では、モーツァルトは音楽の天才でありながらも世間知らずで、わがまま、自由奔放な生活をした人物、、、、なとどいうイメージがありました。ロマンチックな音楽を作曲しながらも、俗っぽい部分があったんでないの?みたいなね。
でも、今夜、モーツァルトの話を聞き、その音楽に改めて触れることで、なんかうれしくなったんだよね。それは、「彼が旅をすることで、こんなにすばらしい音楽を生
み出せた」、ということを知ったから。
モーツァルトはお父さんに引き連れられて、ヨーロッパの様々な国をめぐったんだそうだ。いろんな国の貴族の前で演奏して、お金を稼いでいたのだそうだが、その旅の影響が音楽にもあらわれているんだって。石畳を走る馬車の音、リズム、旅先で出会った少女への恋心、・・・・旅をすることで感じたことを、幼いモーツァルトは音にした。なんか、とても素敵ではないですか?
先週、北海道を旅して、いろんなものに感動して、とても清々しい気持ちになったばっかりだったんです、私自身がね。
旅はいいなぁってね。
モーツァルトも、きっと「旅」を通して、いろんなことに感動し、いろんなものを吸収していたんじゃないかな、と思うと、「旅」に普遍的なものを感じた訳です。
「旅」せよ、乙女。
世の中には、素晴らしい景色・人・モノがた〜くさんあるんだから。
そして、「聴け」、人間の奏でる最高の音を。私たちが手におえないものではないのだ。人間が持つ力を最高点までもっていけば、こんなにも感動する「手作り作品」を
生み出せるのだ、ということを知っておかねばならない。
私もアマデウスのように、旅をし、吸収し、
そして、その得たもので、何かしらの「作品」を残せたら幸せだなぁ〜、
などと思った夏の夜です。
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